MENU

本木雅弘と内田也哉子の馴れ初め|15歳の出会いと交際0日プロポーズ

本木雅弘と内田也哉子の馴れ初めを伝えるアイキャッチ

俳優の本木雅弘さん(60)が、妻・内田也哉子さんとの馴れ初めを語った。文春オンラインが10月20日に配信した、月刊『文藝春秋』2026年11月号の記事だ。

結論から言うと、二人の出会いは1992年、也哉子さんの父・内田裕也さんが脚本と主演を務めた映画の食事会だった。当時の也哉子さんは15歳。そこから文通を経て、本木さんが17歳の也哉子さんにプロポーズし、19歳で結婚に至っている。

この記事では、報じられた内容を時系列で整理し、読者が次に気になりそうな点まで確認できる範囲でまとめる。

目次
スポンサードリンク

本木雅弘と内田也哉子の馴れ初めは?映画の食事会での出会い

本木さんによると、也哉子さんと知り合えたのは、父・内田裕也さんのおかげだという。1992年に裕也さんが脚本と主演を務めた映画『魚からダイオキシン!!』に本木さんが出演し、そこから付き合いが始まった。

也哉子さんと初めて会ったのは、この映画の食事会の席だった。本木さんの記憶では、当時15歳の也哉子さんは、生まれる前に家を出た父から年に1回の面会で呼ばれたにもかかわらず、周囲に放っておかれていた。賑やかな輪から少し離れ、ひとりで食事をしていたという。

そこで本木さんが「あなたも飲む?」と声をかけたのが、二人の最初の会話になった。

項目報じられた内容
出会いの場映画『魚からダイオキシン!!』(1992年)の食事会
也哉子さんの年齢15歳
きっかけの言葉本木さんの「あなたも飲む?」
引き合わせた人物内田裕也さん(映画の脚本・主演)
スポンサードリンク

「飲む?」への返答は?2023年の夫婦対談での振り返り

この出会いの場面は、2023年に『週刊文春WOMAN』で行われた夫婦対談でも語られている。今回の記事は、その内容を次のように引用している。

本木さんの「飲む?」という冗談に対し、15歳の也哉子さんは「私、もうやめましたから」と応じたという。本木さんはその貫禄に圧倒された。

その後、也哉子さんはスイスに留学し、二人は文通を始めた。やり取りは頻繁ではなく、絵はがきを送ると忘れた頃に返事が届くような距離感だったと、別の文春の記事では紹介されている。

スポンサードリンク

プロポーズはいつ?「交際0日」で結婚を申し込んだ理由

文通から2年後、本木さんは突然プロポーズした。本木さん自身の説明では、17歳の也哉子さんに結婚を申し込み、19歳で結婚している。

2023年の対談では、也哉子さんがプロポーズの言葉を明かしている。内容は、白髪になったあなたも想像できる、そういうあなたを愛おしいと思えそうだ、すぐでなくてもいつか結婚という選択肢が現れたときには自分もそこに入れてほしい、というものだった。

一方で、二人はその時点で交際していなかった。也哉子さんは、付き合ってもいないのに結婚の話に飛んだことに困惑したと明かしている。本木さんも、今なら批判の的になっただろうと自ら振り返っている。

では、なぜ交際を経ずに結婚を申し込んだのか。本木さんの答えは次のようなものだ。

  • 也哉子さんは、自分の中でどのように年齢を重ねていくのかを眺めていたい人だった
  • 夫でなくてもいい。とにかく近くで眺める権利を得たいと強く感じた

恋愛感情というより、「この人の時間の流れをそばで見ていたい」という動機だったことが読み取れる。

スポンサードリンク

結婚の許しは?内田裕也さんと樹木希林さんの反応

落ち着いた雰囲気のレストランの店内

結婚にあたっては、両親への挨拶が簡単には進まなかったようだ。

交際の報告は、母の樹木希林さんに早い段階でしていた。希林さんは、結婚を迷う也哉子さんの背中も押してくれたという。

難しかったのは父の裕也さんだ。結婚の許可をもらおうとしても、なかなか会ってもらえなかった。本木さんが希林さんに相談すると、「離れて暮らしていても男親ってそういうものじゃないの」と言われた。本木さんは、こういうときだけ普通の父親になるのか、と感じたと語っている。

結婚の承諾を得た場所は?銀座の料亭から虎ノ門のバーへ

暖炉の前に置かれた赤ワインのグラスとボトル

ようやく会えることになり、本木さんは銀座の料亭の個室を用意した。ところが、いざ結婚の話を切り出そうとすると、裕也さんは「ハエがいる。部屋を変えろ」と騒ぎ出したという。

結局、話を切り出せないまま連れて行かれたのが、虎ノ門のホテルオークラにあったスコティッシュ・バー「ハイランダー」だった。バーには当時の本木さんの事務所の社長も呼ばれ、裕也さんは社長に芸能界の話ばかりしていた。

本木さんは強引に会話に割り込み、「結婚の承諾をいただきに来ました」と切り出した。返ってきたのは「わかってるよ、ヨロシク」というひと言だけで、話はそれで終わったという。

後になって、本木さんはこの店の意味を知る。裕也さんが指定した一番奥の角の席は、かつてオノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんと語り合った、思い出深い席だった。ひとり娘の大事な話はそこで聞きたい。ジョンとヨーコのように、自由な精神と強い愛情で結ばれた夫婦を目指してほしい。そうしたはなむけの気持ちがあったと、本木さんは受け止めている。

馴れ初めを時系列で整理

記事で語られた流れを、年齢とあわせて表にまとめる。

時期出来事
1992年映画『魚からダイオキシン!!』の食事会で出会う(也哉子さん15歳)
その後也哉子さんがスイスに留学し、文通を始める
約2年後本木さんがプロポーズ(也哉子さん17歳)
結婚前樹木希林さんには交際を報告。裕也さんには承諾をもらうため会食を設定
1995年明治神宮で結婚式(記事の写真説明による。也哉子さん19歳)

なお、2023年の対談を引用した部分には、出会いの時の本木さんを「25歳」とする記載がある。生年から計算した年齢とは数え方が合わないが、本記事では文春の記載に沿って整理している。正確な年齢は、元の記事で確認してほしい。

記事には続きがある?全文で読める内容

文春オンラインで読めるのは抜粋で、約7000文字の全文は『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年11月号(10月9日発売)に掲載されている。タイトルは「本木雅弘60歳の告白 『晒された家族』の婿として」だ。

無料部分の目次には、次のような見出しが並んでいる。

  • 「本木雅弘」と「内田雅弘」
  • 意識のない時に私の魔が!?
  • 樹木希林から裕也へのFAXに

馴れ初めだけでなく、内田家に婿入りした立場から見た家族の話や、樹木希林さんの死後に見つかったとされるFAXにも触れているようだ。中身は有料部分にあり、本記事では扱わない。

よくある質問

本木雅弘と内田也哉子はいつ結婚した?

文春の記事の写真説明によると、1995年に明治神宮で結婚式を挙げている。也哉子さんは当時19歳だった。

出会いのきっかけは何?

1992年の映画『魚からダイオキシン!!』の食事会だ。也哉子さんの父・内田裕也さんが脚本と主演を務めた作品で、本木さんも出演していた。

なぜ交際せずにプロポーズしたの?

本木さんは、也哉子さんが年齢を重ねていく姿を近くで眺めたい、夫でなくてもその権利がほしいと感じたためだと説明している。

まとめ

本木雅弘さんが語った馴れ初めは、1992年の映画の食事会での出会いから、スイスとの文通、交際0日のプロポーズ、裕也さんへの承諾取りまで、順を追って整理できる。

ポイントは、きっかけが恋愛というより「この人の年の重ね方を近くで見たい」という気持ちだったことと、承諾の場に裕也さんの思い出の席が使われていたことだ。全文を読みたい人は、『文藝春秋』11月号か『文藝春秋PLUS』で確認してほしい。

参考にした報道・資料

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次